2010/02/21

他人を否定し自分を否定する弱さ

突っ掛かるというか同乗

議論をするってことにはいろんな意味があるんだ。 | 清音頭
http://suganendo.com/blog/discussion-is-cool-man/

前回ストレートに突撃した 他人を否定し自分を否定する強さ では、否定を強調したけれどやはり上手くは伝わらない。それはもちろん伝えようとしていないから。言いたい事を言い説明しない事で『この人はどう受け止めるだろう?』というのが私の否定。何でも説明してこうだああだと解説しては議論は生まれず自分が育たないから面白く無い。

客観的に見ていたのがこの人。

否定は@/boss_にとってアドレナリンで@/suganeseoにとって思考停止ポイントで語の定義という現在は異なれど「そっから先へ進みたい」という未来は似てると私の大雑把な脳は解釈しました。 9:40 PM Feb 10th webで

私が否定する事柄は100%頭と感情をフル回転し全力で反論して欲しいという発言に対してのみ。自分が正しいと思えば思う程タゲった他人を否定する事で、要するに煽る。煽りに対して論無き感情のみを返すような人間はハナから否定しない。相手をするだけ時間の無駄だから何でも『ああ、そうですね。私もそう思うかも知れないね』と無視する。賛同=無視してるんだよ。気付けよナマクラ。

異なる価値観は同じ価値観と紙一重

赤いリンゴが有る。Aさんは赤と言い、Bさんも赤という。しかし目を通した脳の中での映像はAは多くの人間が見ている赤だけれど、Bは多くの人間が見ている青かもしれない。Bは生まれた時から自分の目に映る一般的な青を「赤(あか)」と認識しているだけであって言葉はあかでも脳内の色彩では一般でいう青い色なのだから。一生これは解らない。

赤と青という色だけでは無く全ての色が反転して見えている人間も居ないとは言えず。ネガポジ反転になっているなら何かおかしいと感じる と思うか?生まれながらに反転していれば皆が教えてくれる緑や黄や山吹色やピーコックグリーンが紫などに見えており、それが一般的な名称と認識しており言葉が違うというだけかも知れない。知れないというより有れば事実。

言論も同じで正しいと思えば突き進み、間違っていると言われても納得しなければきかない。納得して100%寝返ったとしても元の思考を100%間違っていたと思った時点でそれはおかしい。頭の良い人間がこれを考え過ぎるとおかしくなる為、考え過ぎぬよう。私は馬鹿だからこういう考え方が出来る。

SEOの先駆者は未だ休養中?

SEO業界の巨匠( @motoharusumi )と言うべきか尊敬するスパマーとでも言うべきか。

もっと穏やかで崇高な何かを持っており心休まるSEOの仏像かと思っていたけれどfollowすれば解る、清音さんや私と同様にとてつもない偏屈極まりない失礼な人間。何が失礼かは一般的に見た価値観であって、おそらく清音さんや私は『住氏はこんな面白い奴だったのか!』と喜んでおりtwitterで書くことを見る事が出来る事を楽しんでいる。

彼に清音さんは反論する。

うまく論点をすり替えるような言葉遊びの技術をいくら鍛えても、そんなのが役に立つのは政治家とか一部の学者だけ。僕たちは切れば血が出る現実の中を生きてる

Posted on Twitter by @motoharusumi on 1:52 AM Feb 11th

住氏がこう来た。ブログで返す清音さん。

と、@motoharusumi のおじさんは言うけれど、ぼくはそうは思わない。

商談、プレゼン、会議、接待、「切れば血が出る現実の中を生きてる」からこそ、「言葉遊びの技術」は非常に重要な武器となる。

反論を反論すると元に戻るため、ここでは何でも否定しようとすると私は意見出来ないけれど、住氏には論点のすり替えに見えており清音さんはその通りに論点をすり替えた。だから何だ?論点をすり替えるという事は枝を広めて将棋のコマを増やし論争拡大の準備をしている布陣をする事。

論点がずれているという否定は面白く無い。論点を否定する事で広がりが無くなり、拡大する事に何か恐れているのでは無かろうかと。私にはそう映るし時間の無駄だとも言っているように見える。論点はずれてこそナンボで有り、それらを収拾付けようとする事が議論。一旦拡げてまとめる事が実は時間を短縮し双方の考えを近付ける。

SEOと無関係に住氏の事を書いている時点でこの段もサブタイトルの論点がずれているとも言えましょうて。拡げたいんだよ何でも。

異なる価値観は一生理解しなくて良い

方向は3つ有る。

一つは清音さん(A)の価値観。一つは大学教授の某氏殿、私でも住氏でも結構(B)

Aは空は青だと言いBは赤だと言う。昼と夕刻の違い。同じ1日。

今『なるほど』と思ったら私に騙されており論点がずれている。議論はぶつかるものでAが昼の空を青だというならBは昼を赤だと言う。なぜ赤なのかをAは考える。なぜ青にこだわるのかBは思う。AはBの言うことに反論し否定しつつもBの反論を聞く。BもAの常識を聞きながら考えを聞く。

Bが住んでいる所は火星かも知れない。

こうAが知った所でAは理解し歩み寄れば良いのか。

Aは昼の空を青と思えば良くBは赤で結構。しかしAとBの言い分が合わさると紫の空の存在が解るかも知れない。だからAは否定し続けBも否定し続ける。理解というより認め合わなければ議論は出来ず、紫は生まれない。

青と信じて疑わず、赤だと言い張り続ける事で紫が見える事を私は否定しまくる事で見ようとしており、お前らのように頭が良くないから必死に生きているのでございます。

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